シュメール人のメモ

気楽に色々書くよ。

「2分の1の魔法」を観た

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《ネタバレ注意!》



ピクサーの映画をわざわざ褒めるのは馬鹿らしい。ピクサーの映画はほぼ間違いなく名作なんだから。ピクサーはそれほどに安定して素晴らしい作品を発表し続けてきた。
 子供向けの映画はたくさんあるが、子供と映画を観るならファーストチョイスはピクサー映画だろう。ピクサー映画がかけられてなければ他の映画を観ればいい。教育効果(と言うと野暮だが)も高いし親も間違いなく感動する。

 魔法で死んだ父親を蘇らせようとしたら下半身だけが復活する。そこで上半身も復活させるための冒険に出るエルフの兄弟の物語。だから「2分の1の魔法」なのだろう。
 下半身だけの父親にこんなにも豊かに感情表現させることができるのはピクサーだけだ。
 一言で言えば「子供には父親が必要だ」という古典的な物語でもある。実の父親でなくても象徴的な意味での父親が。ちなみに、ダン・スキャンロン監督も1才の時に父親を亡くしているらしい。

父と子の話であり、兄弟の話でもある。最初は粗野でヤバい奴という印象しかない兄バリーの印象がどんどん変わっていく。しゃがんだ時に半ケツ出てしまうディティールが素晴らしい。

 物語のクライマックス、イアンは兄バーリーに父親に会うチャンスを譲って自分は呪いのドラゴンにとどめを刺しに行く。そして遠く瓦礫の隙間から父親の後ろ姿とバーリーを眺める。なんという天才的な演出。バーリーにはちゃんと父と別れの挨拶をする必要があったから。イアンはずっとバーリーが父親代わりをしてくれていたことに気付いたから。
 死んだ父親に会いに行くという過去を向いた物語でありながら、バイブスとしては常に前向きな物語だ。この映画の原題は「Onward」(前へ!)だ。 
 ピクサー映画の原題はいつもシンプルでいながら物語の本質を表していて洗練されている。
思い出を振り返る話、過去に決着をつけにいく話であっても過去に囚われる話ではない。母に新しい恋人がいることからもわかる。
 
 同性愛のキャラクターも出てきてちゃんとポリコレ的な目配せもしている。そのせいで公開中止になった国があるのは残念だが……。
 
 ラストシーン、イアンは「普通に行くのはおもしろくない」と言って車で空を飛ぶシーンで終わるが、あれは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のラストシーンのオマージュだ。マーティーがドクに「道が足りないから一度バックしたほうがいい」と言うと、ドクは「道など必要ない」とデロリアンで空を飛ぶシーンだ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は「未来に戻れ」という逆説的なタイトルだが、この映画は未来に進むために過去を振り返る話というわけだ。

おすすめ!

「劇場」を観た

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ネタバレ注意!





「いつまで持つだろうか」
 二人の関係が破綻することは映画の冒頭から暗示されている。
 「ここが一番安全な場所だよ」「今までよく生きてこれたねぇ」「ナガ君はすごいよ」と永田を甘やかす沙希はまるで過保護の母親のようだ。二人の関係は共依存というよりまるで母と息子。無論、沙希も永田の才能を信じるフリして自分の現実と未来から目をそらしていたのだから共依存なのかもしれない。でも、共依存という言葉は好きじゃない。お互いに依存していないのならそれはもはや恋愛じゃないと思うから。

街中で沙希の知り合いと出くわすと、永田はひとり離れて下を向いている。沙希の母親が仕送りについて「半分知らない男に食べられると思うと腹が立つ」と言ったと聞くと怒り出す。沙希のバイト仲間かつライバル劇団の間で自分が笑いものにされてたと聞いて激怒する。自分が沙希を幸せにしてやれない半人前であることが情けなくてしょうがないから。
 
 松岡茉優を褒める人がたくさんいるが、山崎賢人も好演だったと思う。ちょい役ではあるがライバル劇作家を演じたKing Nuの井口理も評価したい。
 永田を打ちのめす才能の持ち主でありながら、悪い奴ではなさそう。ただ堂々としているだけ。しかし、その「ただ堂々としているだけ」というのがかえってたちが悪い。永田をますます卑屈にさせる。その感じ、うまく出せていた。

「ナガ君はほんとはなにも悪くない。ナガ君はなにも変わっていない。時間が流れてしまっただけだから。勝手に年を取って、焦って変わったのはわたしのほうだから。」

 様々な季節、様々な天候を映画は映し出す。二人が過ごした時間を描くために。
 二人はバイクで喧嘩して、チャリンコで仲直りする。バイクはふたりにとって速すぎるから。

 一度片付けた荷物をもう一度元に戻す。その時から舞台作りは始まっている。壁がパタパタと倒れるとそこは舞台の上。「演劇でできることは現実でもできる。だから演劇がある限り絶望することはないんだ」
 「ラ・ラ・ランド」と同じ手口だが泣かされてしまう。桜並木でチャリンコ二人乗りしながらの永田の独白も素晴らしかった。

 エンドロールが流れながら客がひとりまたひとりと席を立つ。タイアップしたJpopは流れない。これは映画じゃなくて劇場の話だから。ラストシーンは沙希の泣き笑い。バッドエンドじゃない。泣き笑いでしか思い出せない二人の物語。名作!

「ミスミソウ」を観た

内藤瑛亮監督の「ミスミソウ」を観た。
2020年6月現在公開中の「許された子供たち」が気になったから内藤監督の作品を観てみたのだ。内藤監督の作品はなぜか全スルーしていた。

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田舎の中学校を舞台にしたいじめと血みどろのバイオレンス映画。主人公は女子中学生。

主人公の女子中学生はボロボロにいじめられる。それがエスカレートして惨劇が起こり、復讐劇が始まる。でもスカッとジャパン系の単純な勧善懲悪ものではない。物語は意外な結末を迎える。白い雪景色の中鮮血が舞う映像はキレイでタテタカコの音楽も素晴らしい。不思議な味わいの映画。


《以下、ネタバレ含む》





いじめっ子たちは言う。
「こんなゲームセンターやカラオケもない田舎じゃ頭が狂う」
それがいまいちわからない。本作の時代設定がいつなのかはわからないが、今どきスマホがあればゲームセンターやカラオケなんかいらなくね?と思う。
田舎どんづまりモノ、田舎くすぶりモノは小説や映画で定番のジャンルだけどさ。
ゲームセンターやカラオケがないと退屈してしまうような奴は都会でも退屈するんじゃないかな。退屈は心の中にある。



バイオレンス描写は正直コメディーかなと思った。コケてちょっとした斜面を滑り落ちただけで、冬山を数百メートル滑落した人みたいに股が裂けたりするのは笑える。
それに、女子中学生があんな小さなナイフであっという間に三人殺せないよ。ランボーじゃないんだからさ。

この映画が素朴な勧善懲悪でないことはいじめのリーダー格のタエコだけが生き残ることからわかる。(タエコは野崎の両親殺害に関わっていないので、人を殺した人間は全員死んだと見ることもできるが。)

そしてこの映画は不思議な結末を迎える。タエコが野崎をいじめていた理由は野崎が好きだったのに相葉と付き合いはじめたからだという百合展開。そしてもともといじめられていたルミはタエコを好きだったという百合三角関係。

そして一人生き残ったタエコは卒業式の日に仲良かったころの自分と野崎のことを思い出す。そして流れ出すタテタカコの「道程」。なぜかめっちゃ爽やか。タエコはきっと東京に行って美容師になるのだろう。

タテタカコと言えば「誰も知らない」の「宝石」を歌ってる人でもある。良い曲。