シュメール人のメモ

気楽に色々書くよ。

「ミセス・ノイズィ」を観た

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2005年に奈良県で起きたご近所トラブルが世間を騒がせた。ヒップホップを爆音で流しながら、「引っ越し!引っ越し!さっさと引っ越し!しばくぞ!」と叫び、布団をたたく鬼気迫る表情のおばさんの映像はあまりにもキャッチーだった。マスコミやインターネットは彼女をオモチャにして遊んだ。元大臣の政治家はテレビの生放送で彼女を「キ○○イの顔ですわ」と評し、バラエティー番組では彼女に扮したキャラクターが登場した。
おそらく日本中の男子中学生が彼女のモノマネをしていたことだろう。騒動は海外メディアに報じられるまでになり、その海外メディアは彼女を「Mrs.Noisy」と名付けた。言うまでもなく「ミセス・ノイズィ」は彼女とその騒動をモチーフにしている。

この映画はカメラの残酷さを描いている。感情的になっていたり、風変わりな行動している人間を撮影し、大衆でそれを消費するという遊び。今でも、風変わりな人物やホームレス、そして精神疾患のある人をオモチャにする遊びはネットで健在だ。誰もがカメラ付き携帯電話を持ち、SNSが発達した現代のほうがこの遊びは流行っているかもしれない。ニコニコ動画youtubetiktokにはたくさんそういう動画がある。ツイッターではそういう人物が晒されてみんなにオモチャにされている。

この映画はドタバタコメディーとして始まる。主人公の真紀は母親であり小説家。しかし、スランプに陥ってうまく小説が書けない。子育てと仕事の両立もうまくいかない。そこに隣に住むおばさんの布団を叩く騒音が始まる。トラブルが重なって真紀のストレスはたまる一方。主人公と隣のおばさん、二人の喧嘩は日増しに激しくなり世間も騒がす大騒動に発展する……というあらすじなのだが、未見の人はもうこれ以上読まずに劇場に行って欲しい。本当にすばらしい作品だった。



《ネタバレ注意!》


騒音おばさんの騒動が一段落した頃、ネットでは「実は騒音おばさんは被害者だった」という噂が広まるようになる。もちろんご近所トラブルや喧嘩なんてどちらにも非があるのが当たり前なので、それはそうだったのかもしれない。しかし、そのあとネットではこの「騒音おばさんの真実」がアンチ創価学会、アンチマスコミ言説と結びついた都市伝説と化していく。たしかに騒音おばさん騒動においてマスコミや世間のやったことは醜く愚かだったが、そのカウンターになるのもまた憎悪にまみれたいびつな都市伝説だった。

この映画も、ミセス・ノイズィである美和子とその旦那の視点から騒動が振り返られると話が反転し始める。彼ら夫婦は風変わりであり、特に夫は心を病んでるものの、彼らは悪人ではなく、誤解されていただけであることがわかってくる。世間からの理不尽な攻撃に「わたしたちは間違ってない」と耐える二人だが、とうとう心を病んだ夫が世間に「ロリコンだ!」と糾弾・嘲笑され、自殺未遂をする。するとマスコミと世間は今度は真紀を糾弾するようになる。

現実と違って、この映画は話を反転させるだけでは終わらないのが素晴らしかった。主人公と騒動おばさん、どちらが被害者なのかという話に着地しないのだ。この映画の終着点にあるのはミセス・ノイズィの気高く高貴な精神だった。

この映画は一言で言えば和製ダークナイトだ。ミセス・ノイズィは子供を幼くして失い、心に闇を抱え、それでも布団たたきと曲がったきゅうりを手に理不尽な世の中に立ち向かう。心を病んだ夫を守るため、子供や弱き者を守るためにミセス・ノイズィは立ち上がる。道祖神にお供えするのも忘れないが、食べ物も無駄にしない。

真紀は美和子がスーパーヒーローだったことに気づいてそれを本にする。真紀はパウロなのかもしれない。はじめはイエスの信徒を迫害していたが、回心してイエスの追随者になり、聖書を執筆したパウロ


笑って泣けるスーパーヒーロー映画。役者陣もほんとに素晴らしい。子役も天才的だし、主役のふたりがほんわかした雰囲気なのでゆるふわなコメディーの雰囲気が出せたと思う。名作!ヒットしてほしい!

ちなみに、この記事を書く前にネットで色々調べていたら鯖味噌の元ネタも発見してしまった。